その頃、リュミエールは裏道を抜けた所にある公園にいた。
簡素な公園ではあるが、芝生もよく手入れされ、
中央にある噴水に彫り込まれた天使もかわいらしい表情をみせている。
その縁に腰掛け、心を落ち着かせていた。「どうも人混みは苦手ですね」
胸に手をやり、そっと自分につぶやいて溜め息をついた。
胸に抱いた竪琴が無事なのを確認し、顔を上げて空を見た。
乱れ気味の水色の髪がさらさらと肩に流れる。
こうして空を眺めていると、懐かしい故郷の海の色を思い出す。
「お母様、お元気でしょうか‥‥」
聖地に召されてから過ごした時間は、外界の時間よりもゆっくり流れる。
病弱な母はもしかすると‥‥。
郷愁の想いにかられ、ふと頭を家族がよぎる。
その時、自分の背後から笛の音がしたのに気づいた。
噴水の反対側だろう。落ちる水が薄い垂れ幕のように、
反対側の誰かの姿を写している。
チューニングしているようで、まだ音楽を始めるようではない。
リュミエールは興味をおぼえて反対側に歩いてみた。
そこには少女が立っていた。
突然、長身の男性が現れて驚いたようだが、
リュミエールの穏やかな微笑みに彼女もつられてはにかむように笑い返す。
年齢はリュミエールよりも下だろう。
まだ学生なのだろうか、あどけなさが残っている。
この星の民に多い黒髪の少女。短く切りそろえたその毛先に
、噴水の水がぱらぱらとはね掛かり、夜空の星のごとく輝いている。
それと同じくらい、少女の笑顔も輝いていた。
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたか」
「ええ、それは。あら、あなたも音楽が好きなの?」
リュミエールが抱いている竪琴を指さして問いかける。
「私ですか? そうですね、たしなむ程度ですが」
「それなら、わたしの練習相手になってくれないかな?」
突然の申し出にリュミエールは戸惑った。
「これでも王立楽団の、最年少フルート奏者なんだよ」
細身の胸を反らして彼女は言った。
「それは素晴らしいですね。ですが、私で練習がつとまるのでしょうか」
すると少女はくったくのない笑顔を見せて、大きくうなづいた。
「だって、練習するなら一人より二人でしょ? 時間がないのよ、手伝って」
少し強引なような彼女の誘いはまるで、
今まで人混みや郷愁とで波立っていた心を、滑らかに撫でてくれるようだった。
「ええ、喜んで」
「それじゃ、まず自己紹介ね。わたし、フィリア。よろしく」
「リュミエールです」
そう言って縁に腰掛ける。
フルートをフィリアが口に当てて奏で始めると、
リュミエールもそれに合わせて竪琴を弾いた。
まるで打ち合わせでもしていたかのように旋律が流れ出る。
音符が目に見えるように鮮やかな演奏。
曲が替わって、空気にとけ込んでしまうように静かな音色。
何曲も続けて二人は演奏した。リュミエールは本当に時を忘れた。
途中視線が合うと、どちらともなくにこりと微笑む。
リュミエールはフィリアの演奏する姿を美しいと感じた。
しなやかな指の運び、正確な息の強弱。どれをとっても彼女は素晴らしかった。
最後の音が空気に消えていくと、はぁ、とフィリアが大きく息を吐いた。
そして会心の笑みを浮かべてリュミエールを見、手を差し伸べた。
「ありがとう。おかげでとってもいい練習に‥‥
ううん、もっと素敵なセッションだったわ」
その手を柔らかく握り返す。
「私こそ、心の和む時間をいただけました。感謝していますよ」
フィリアもフルートを膝に置き、隣に座った。
「ね。リュミエールはザンに何しに来たの?」
「えぇ、あの‥‥ 旅行です」
「一人で?」
「いいえ、仲間が二人いますよ」
頭にオスカーとオリヴィエが浮かんだ。
そういえば何も言わないでここに来てしまった。
人混みで分断されてしまったとはいえ、心配しているはずだ。
早く戻らなければ。
リュミエールは縁から立ち上がる。
「申し訳ありません、そろそろ戻らなければ仲間が心配していると
思いますので、これで私は失礼させていただきます」
「えっ? もう帰るの。ねえ、もう少しいいじゃない」
リュミエールが返事をする間もなく、フィリアは手を伸ばして服をつかみ、
強引に引っ張って座らせた。
「大丈夫よ、どうせ今夜会うんでしょ? だったら、ね?」
「え、ええ、まあそうなのですが‥‥」
まだ迷っているリュミエールを、フィリアは口を曲げて見上げた。
「それとも、わたしと一緒にいるのが嫌なんですか?」
「そんな! 決してそのようなことではありませんよ」
慌てて手を振って否定するリュミエール。
するとフィリアは、それまで拗ねていたような目つきだったのが一瞬で替わり、
ぷっと吹きだしてコロコロと笑い出した。
「あはは。ごめんなさい。ちょっと意地悪しちゃった」
「フィリア?」
全然事態が理解できていないリュミエールは戸惑うばかりだが、
フィリアはまだ笑いが止まらない。
お腹を抱えて涙を浮かべながら言った。
「だって、わたし、まだあなたとお話したいんだもん。ここにいてほしいんだ」
それでようやく理解できた。ちょっとした演技だったというのだ。
「ふふふ。いいのですよ、気にしないで下さい。
私もあなたともう少しこうしていたいのですから」
「良かった。怒られるんじゃないかと思ったけど」
リュミエールの怒った姿を見た者は、宇宙広しといえどもいないはずだ。
それをもし期待するのなら無理な話だが、本当にリュミエールは怒っていなかった。
それに、彼自身もそれを望んでいたことでもあった。
「リュミエールたちはラッキーよ。
今ね、ザンに守護聖様方がいらしてて、祝典が開かれるのよ」
「そうなのですか‥‥」
当の本人であるとは、口が裂けても言えない。
それが決まりなのだ。
一般の民は女王や守護聖の名も顔も知らない。
知らされていないからだ。聖地にいる限られた人間のみ知る。
だからリュミエールはここで、あくまで旅行者を装わなければならない。
相手を偽っているようで心苦しいが、これは仕方のないことなのだ。
「でも、私たちのような旅行者には、お姿は見えないのでしょうね」
「そうかもしれないわね。でもお祭りが開かれるから、どこへ行っても楽しいわよ」
それで市場もあんなに活気があったのだろうか。
賑やかなことは喜ばしいのだが、リュミエールには少々疲れる。
「でもね、わたしは特別なんだよ」
自慢げに話し始めるフィリア。
「明日は王立楽団が守護聖様の御前で演奏するの。
本当は今夜だったはずなんだけど、なんでだか突然延期になっちゃってね」
夜の曲から朝の曲に変更したので練習が必要になったのだと、フィリアは続けた。
「だって夜にぴったりな静かなメロディを、輝く朝に奏でたりとかしたらおかしいでしょ?」
そう言ってリュミエールを見たが、彼は何か考え事をしているようだった。
眉間にしわを寄せ、難しい顔つきをしている。
「リュミエール?」
もう一度呼びかけて、ようやく我に返ったようだ。
「え。あ、ああ、大変なのですね」
「うん、大変だけど誇りと名誉ある大役だわ。それに独奏だってあるし」
それから彼女はずっと曲についての情熱を語っていたが、
実はリュミエールはほとんど聞いていない。
上の空で返事をしているだけだった。
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