一つだけお願い

お月様、おねがいです。
わたしの一つだけのおねがい、聞いて下さい。
みんなのおねがい、一つだけ聞いて下さい。
あの人に、伝えたいんです・・・。あの人に・・・。


「るん、るるん、るーん」
鼻歌を歌いながらマルセルは、夜の星明かりの下、花壇の手入れをしていた。
ここ数日暑い日が続いたので、なかなか手入れができていなかった庭の花壇を植え替えているのだ。
「あー、終わった。ちょっぴり疲れたな」
とんとん、と肩を叩きながら夜空を見上げ、うーんと腰を伸ばす。
星々が漆黒の夜を輝かせ、瞬きながら、優しい淡い光を聖地に投げかける。
しかし、今夜がひときわ明るいのは星だけではなかったから。
中天で金色に輝く、お盆のような月。そう、今夜は満月だ。
地上に降り注ぐ夜の光が一番強いこの日を、植え替えの日にとマルセルは選んだのだ。

マルセルの庭はたくさんの花々で埋め尽くされている。
幼いときから土をいじり、植物を慈しんできた、彼らしい庭。
太陽の明るさのもと、花々は勢いよく咲き誇り、鮮やかな色を競い合い、甘い香りが私邸を包む。
夜の今は花の彩りよりも、むっとするような草いきれが鼻をかすめる。
熱せられた空気が葉や鼻、茎や土の香りを包み込み持ち上げ、マルセルを包み込む。

この庭は開放的に造られているので、昼間は動物たちもよく訪れる。小鳥やリス、ウサギなど。
ここを訪れる女王候補たちが仕草に歓声をあげるかわいらしさ。マルセルも動物が大好きだ。
しかし今は虫の声一つせず、静寂が少しだけ、彼を孤独にさせた。
まだ幼い少年の心を持つマルセルにとって、この静寂は耐え難い。
手に着いた土を急いで払い落とし、スコップとバケツを抱え上げる。
がちゃがちゃと音をさせながら、急いで家に戻ろうとした時、ふと、目線の先で何かが動いた。

がさがさっ がさささっ がさっがさっ
花壇の影で何かが動く。葉が揺れる。花びらがぽろぽろりと舞い落ちた・・・。

「ひゃ、ひゃあああっっっ」
驚いて腰が引け、変な悲鳴を上げてしまった。
抱えていたバケツもがらんがらんと地面に落ち、マルセルはぺたりと腰をつけてしまった。
「だっ、誰なの? そこにいるのは、誰?」
夜の時間は訪れる動物もいない。みんな寝静まっているからだ。
それに、花壇の草花に隠れるぐらい小さい人間なんているはずがない。そう思っても呼びかけずに入られなかった。
「ゼ・・・ゼフェルなの? そっ、そこにいるなら、変なコトしないで出て来てよ」
震える声で呼びかけるが、動いたあたりからは返事がない。
「ま・・・まさか・・・おばけ・・・??? でも・・・聖地にそんなの、いるわけないっっ」
聖地に恐ろしい化け物がいるはずがないと信じたいが、怯えるマルセルの確信は揺らいだ。
すぐにでも家の中に走って帰るか、誰がいるのか確かめるか。
少年の心は好奇心に動かれ、何がいるのか確かめることにした。
そっと、そーっとマルセルは花壇に近づき、そこに誰がいるのか、恐る恐る見てみた。
薄目を開け、ゆっくりと草花をかき分け・・・。そこにあったのは。

「きみは・・・誰なの?」
そこにいたのは、ぶるぶると体を震わせ、小さく小さく体を丸めていた少女の姿だった。
マルセルはとっさに足があることを確かめた。お化けではなさそうだ。
頭を腕で抱え、体を震わせる少女にマルセルはそっと手を当てた。
「ねぇ、きみ? ここで、何をしているの?」
怯えた気持ちはどこかへ飛んだ。
少女だと分かった時からマルセルの声は、いつも通りの柔らかく、暖かなものへと戻っていた。
「大丈夫だよ。僕は何もしないから。ね?」
少女の心を落ち着かせるように、マルセルは優しく優しく語りかけた。
するとようやく少女は、固く閉ざしていた腕をほどき、ゆっくりとマルセルを見上げた。
満月の光を反射してきらきらと輝く彼女の瞳は、まるでゼフェルのように紅かった。

マルセルは手をさしのべ、花壇から出られるように助けてやった。
立ち上がった少女はマルセルより頭一つ分小さかった。
彼女の服や膝は花壇の土で泥だらけだった。それを丁寧に払い落としてやる。
それからマルセルは視線を合わせるために、少し膝を折り、少女の瞳をまっすぐに見つめた。
「こんな時間に一人なの?」
少女はこくんとうなづいた。
「お父さんとお母さんが心配するよ」
今度は頭を横に振る。
「どうして? 夜に女の子一人が出歩くなんて、危ないよ」
また少女は首を振った。しゃべる様子がない。
「うーん。でも・・・。そうだ。ねぇ、きみ。どうしてここにいるの?」
さすがに首を振るだけでは返事とならない質問に、少女はうつむき、しばらく時間をおいてから、ゆっくりと口を動かした。
「遊び・・・たい・・・の」
「えっ? ぼくと遊びたいの? それなら、昼間の時間にしようよ。ね?」
しかし少女はいやいやとばかりに首を振り、マルセルがそれからいくら言っても聞かなかった。
「だめ・・・なの。今夜じゃ・・・ないと・・・」
言葉はたどたどしいが、表情から察するに決意は固そうだった。
「うーん・・・どういう意味なんだろう。今夜じゃなきゃだめなんて」
腕を組みしばらく考えていたがマルセルは、この少女の願いを叶えることにした。
「分かった。これから僕と遊ぼう!!」
ぱっと少女の顔が太陽のように輝き、うんうんと嬉しそうにうなづく。
「ただし、遊び終わったらすぐに帰るんだよ。いいね?」
マルセルは指を立て、彼女に言い聞かせるように付け足すと、少女も、はいと答えた。
「よーっし。それじゃ、公園に行こうか!!」
手早く道具を片づけるとマルセルは、少女の手を取り、公園の方に向かって走り出した。
はじけるような少女の笑顔がマルセルの心に印象的だった。

「あっ。そうだ。きみの名前を聞いてなかったよね。僕はマルセル。きみは?」
「・・・キャル」
「キャル? わあっ、かわいい名前だねっ。よろしく、キャル」
にっこりとマルセルはキャルに笑いかけと、キャルもはにかんだ笑顔を返した。
月明かりが弱くよく見えなかったが、キャルの髪は茶色のようだが、ところどころ黒が混ざっている。
変わった子だな、とマルセルは思っていた。

夜の公園は昼間と全く違い、誰もいず、静かに時を流している。
さらさらと流れる噴水の縁に座り、マルセルはキャルを相手に今日一日どんなことがあったのかを話していた。
「ふふふ、それでランディったら、得意のはずの壁上りに失敗してね・・・」
ずっと、ずっと、キャルは笑いながらマルセルの話を聞いていた。
「はあーっ。これで僕のお話はおしまい。次はキャルの番だよ」
自分からは何も話してこないのを悟りマルセルは、わざとキャルがしゃべるように話題を持っていった。
「きみはどこに住んでるの? 研究院とかで誰かがお仕事してるの?」
マルセルの問いかけに、キャルは黙り込んだ。
それまでころころと笑っていた顔が曇り、うつむきながら、マルセルから目線をそらしてしまった。
怒らせたのかと思い、マルセルは必死になって弁解する。
「ごめんね、キャル。でも僕・・・きみのことが知りたいんだ。だって、いきなり僕の庭にいたから」
ずっと、不思議で仕方なかった。
なぜこんな夜の時間に女の子が一人で、しかもマルセルの庭にいたのか。
誰かが入ってくるなら分かるはずだ。それなのに、現れるまで物音一つ立てずにいたなんて。
それに、マルセルの庭はかなり広い。
ゼフェルはよく迷路かジャングルだと言うが、少女はなぜあの花壇に座り込んでいたのだろう。
まるで・・・ マルセルがあの時間に、あの場所に来ることを知っていたかのように。
あの花壇の植え替えを、今夜することを知っていたように。
「きみは・・・なんであそこにいたの?」
素直に言葉に出して問いかけてみた。
キャルは目線をそらしたまま、そっとつぶやいた。

「あなたに会うために」

その一言に、マルセルの鼓動が激しくなった。
「僕に会うためって、どういうこと? それなら、お昼の時間でもいいんだよ」
「だめなの、この時間じゃなきゃ。それに・・・今夜しかだめなの」
キャルは悲しげだった。声が沈んでいた。
「もっと・・・あなたと話していたいのに・・・時間がないの」
顔を上げ、キャルが見る先には傾いた満月の姿が。
「お月様がどうしたの? キャル、僕には分からないよ」
マルセルは知りたいことがいっぱいだった。
キャルの肩に手をかけ、自分の方を向かせる。彼女の視線の先に自分の瞳を持っていく。
「僕に会いに来たんでしょ? それなら、どうして会いに来たの?」
ゆっくりと、噛んで含めるかのようなマルセルの問いかけに、キャルは弱々しく微笑んでみせた。

「わたし・・・わたし達・・・あなたが大好きだから」

大好きの言葉はマルセルの不思議をかきたてた。
マルセルが次の問いかけを口に出す前に、キャルは勢いよく縁から立ち上がり、マルセルの目の前に立った。
そしてもう一度、傾きかけた月を見上げ、意を決したように早口で語り出す。

「わたしは、あなたにありがとうを言いに来たの。みんなの代表で来たの。
それだけじゃない。あなたと遊びたかったの。ずっと、そう思ってたの。
あなたと同じ目の高さで、あなたに触れてみたかった。
満月の夜は、一番月の力が強くなる日。今夜だけはわたしのおねがいも聞いてもらえたみたい。
でも、わたしが人間でいられるのは、あとほんのちょっぴり」

一度言葉を切り、キャルは深呼吸をしてから続けた。
「マルセル様、ありがとう。あなたの緑の力はわたしたちの心をいつも包んでくれている。
暖かくて、優しい。命を育む力はいつもあなたから来る。一人の時も、傷ついた時も、悲しい時も。
大丈夫だよ、ってあなたの力はいつも励ましてくれる。あなたのそばは、いつも心地良い。
あなたのそばから離れたくない。でも・・・」

寂しげな微笑みがキャルを彩る。
「もう、行かなくちゃ。時間なの。あなたに話したいことを全部話したら戻るって約束なの。ごめんなさい」
「誰と約束したの!?」

それには答えずキャルは、一歩だけ後ろに下がった。
反射的にマルセルは腕を突き出し、キャルの細い体を抱き留めた。
「キャル、行かないでよ。僕・・・まだよく分からないけど、でも、きみと別れたくないんだ。
まるで、もう会えない気がして・・・」
キャルを抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
マルセルには彼女の言う意味がよく分からなかったが、もう彼女に会えない気がした。
夜の闇がキャルを連れていってしまう。せっかくできた友達と会えなくなってしまう。
これで、本当のさよならになってしまう。そんな予感がした。

腕の中でキャルの顔は分からないが、キャルが自分の胸に顔を埋めるようにすり動いたのだけが分かった。
いつまでもこうしていたかったが、マルセルの腕はやんわりとキャルによって開かれる。
さっきまでの寂しい笑顔ではなく、心からの満足と感謝の念が彼女を包む。
「ありがとう、マルセル様。わたしは、ずっとあなたのそばにいたわ。これからも、ずっといるわ。
だから・・・ 今夜はもうお別れ。ありがとう、マルセル様」
背伸びをすると、キスをするように、軽く鼻を頬に押し当ててからキャルは、夜の闇が包む公園の茂みへと走って行ってしまった。
「キャルッッ!!!」
マルセルの叫びだけが公園にこだました。

「マルセルーー。おーい、遊びに行かないか?」
ランディが庭の潜り戸を抜け、勢い良く走り込んできた。
「あれ? おっかしいな。ここにいるって聞いたんだけどなぁ、おーい、マルセルー」
庭の中を走り回り叫ぶランディの背中を紅い瞳が見上げていた。
ひくひくと鼻を動かし、茶色の毛並みを太陽の光が金色に染めてゆく。


お月様、ありがとう。
わたしのおねがい、聞いてくれて。みんなのおねがい、聞いてくれて。
あの人に、伝えたかったんです。あの人に。

「ありがとう、大好き」って。


このお話は、ずいぶん前から書きたかったものなのですが、ようやくカタチになりました。
メルヘンがどうしても書きたくて、中秋の名月とウサギで浮かんだ筋です。
ホームページ第一号の作品となりました(笑)

<注意>

本作品の「キャル」は綾水のオリジナルキャラです。
アンジェリークの本編&ゲーム内容には一切関係ありません。