「こんにちはー」
がたん、と扉が開いた。
ルヴァは読んでいた書物から目を上げ、扉のほうへゆっくりと目を向ける。
いきなり近場から遠目へと切り替えたので視界がぼんやりとしたが、
やがてその焦点が合わさってくると、アンジェリークであることが見て取れた。
・・・いや、声がした時点でもう気づいているのだが。
「ああ、いらっしゃい、アンジェリーク」
と返事をしつつも、ルヴァは内心ため息をついた。
『また、あの話なのでしょうかねぇ』
あの話というのは・・・。
「ルヴァ様、聞いてくださいよ。もう、クラヴィス様ったら!」
『・・・やっぱり・・・』
首がうなだれそうになったが、なんとか気力でカバーしつつ。
ルヴァは椅子から立ち上がり、茶器の元へと足を向けた。
ルヴァが茶を入れている間もアンジェリークはしゃべり続けた。
しゃべる、と言うよりは訴えているのかもしれない。
「この前の日の曜日なんて、
私とせっかく約束してたのにすっぽかすんですよ!」
悔しさがあふれ出るように、アンジェリークの語調はかなり強い。
そんな彼女にそっと湯飲みを渡す。
「一息入れませんか?
そんなに怒ってばかりでは、あなたのかわいらしい笑顔が台無しですよ」
「もうっ、ルヴァ様ったらはぐらかさないでください!」
「えーっと、はぐらかさない・・・と言うのはどういうことでしょうか?」
座りなおしてアンジェリークに問い掛ける。
「クラヴィス様の気持ちが分からないから、それで相談に来てるんです。
ルヴァ様なら、クラヴィス様とも長いお付き合いで何か分かるんじゃないかって、
そう思って」
『目的はそれだけ、ですね』
心の中でルヴァはさめざめと涙を流した。
事の起こりは数日前。
偶然通りかかった星見の塔でアンジェリークが泣いていたのだ。
ぺたりと地面に座り込み、泣きじゃくるアンジェリーク。
「どうしたのですかー、アンジェリーク?」
びっくりして尋ねると、なんとクラヴィスに置いて行かれたと言うのだ。
後からクラヴィス本人に尋ねると、
二人で話しているときに王立研究院より遣いの者が来たらしく。
急用が出来たので先に帰ると言い残して、それから帰ったのだそうだが。
せっかくの楽しいひと時が壊されて、アンジェリークはショックだったに違いない。
「私、クラヴィス様のこと大好きなんです・・・」
目を真っ赤にしながらアンジェリークはルヴァにそう告げた。
「だから、クラヴィス様を目の前にしちゃうと、緊張していっぱいしゃべっちゃうんです。
物静けさを好まれるクラヴィス様にとって、私ってうるさいだけですよね。
もしかして、クラヴィス様、私のことお嫌いになられたのかしら・・・」
複雑な表情を浮かべて、ルヴァはアンジェリークの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫ですよ。あなたの気持ちを大切にして下さいね」
それから、ルヴァはクラヴィスについて色々とアドバイスをした。
アンジェリークも知らない、クラヴィスについてのこと。
どんな食べ物が好きで、何の贈り物を好むのか。
この前はあんな話をしたとか、以前あんな場所にいたとか。
アンジェリークに笑顔になって欲しくて。
自分でも気づかないうちにどんどんしゃべっていたようだ。
ルヴァの願いはかなえられ、アンジェリークは見る間に元気を取り戻してくれた。
それからと言うもの。
毎日のようにクラヴィスについてアンジェリークが報告に来る。
今日のように訴えてくることもあれば、笑いかけてくれたとかの嬉しい報告や。
ルヴァのアドバイスのおかげで以前よりも、
アンジェリークのクラヴィスへの恋のアタックが強くなったようだ。
最近ではすれ違うだけで、なんとなくクラヴィスに睨まれているような気がする。
「・・・様? ルヴァ様ったら!」
ちょっとむすっとしたようなアンジェリークの声に我に返る。
「ああ、すみませんね。ちょっと物思いにふけってました」
最近のアンジェリークの訴えをルヴァは思い出していた。
「すみませんね、どうやら今日はお役に立てないようです」
「そう・・・ですか。分かりました。それじゃ今日はこれで失礼します。
あっ、育成もお願いします」
まるで取ってつけたようなお願いだったが、はいと微笑みながらルヴァは受けた。
扉が閉まると同時にルヴァも体の力が抜けた。机の上に突っ伏してしまう。
ごとんっ じゃば〜(じわわ〜ん)
突っ伏して伸ばした右肘が湯飲みに当たったようだ。
音を立てて湯飲みは倒れ、飲みかけだった緑茶は机の上にしみしみと広がっていく。
慌てて跳ね起き、倒れた湯飲みを立て直すと、
大切な書物を茶に触れないように退避させていく。
間に合わなかった数冊の白い紙の部分が緑色に染まっている。
「はあ・・・まったく・・・」
むなしく染められた本を見下ろすしながら再びため息をついた。
机の上を元通りにしてから、ルヴァは窓の外を眺めた。
ガラスに映る自分の顔を見た瞬間、つきんと胸が痛んだ。
ルヴァの瞳の先にいつも映っている女性を垣間見たような気がしたからだ。
ガラスに映る自分の瞳の奥にいる、セピア色の髪の女性。
アンジェリーク。
ルヴァはアンジェリークに好意を抱いている。
女王試験、皇帝との戦い、そして今回のアルカディア。
何度も何度も彼女の横顔を眺めてきた。
常に支え、励まし、新宇宙の女王として彼女が成すべき事を見守ってきた。
だが、自分はそこまでだった。
いつもそこまで。
自分に自信がなかったからだ。
それに、アンジェリークには好きな人がいる。
到底自分の気持ちを確かめることなどできない。
ましてや告白など・・・。
はっと気づくと、空は真っ暗になっていた。
そろそろ私室に戻らなければと、ルヴァは身支度を整え始める。
そんな時、突然の来訪者が現れた。
「ルヴァ、いるか?」
静かに扉が開き、中に入って来たのはクラヴィスだった。
あまりに珍しい客人に、ルヴァは最初声が出なかった。
毎日のようにアンジェリークの話題に上る人物が部屋に来るなど考えてもみなかった。
「・・・珍しいですね。あなたから来てくれるとは」
「フッ、私の方が用事があるのだ。来て当然だろう」
「そうですね、確かに。今お茶を入れますから、待っていてくださいね」
「・・・緑の茶か?」
「別のものがいいですか?」
「かまわぬ。おまえの好きなものをいれろ」
「はいはい」
あいかわらずのワンマンぶりにルヴァは微笑みながら、いそいそと茶の支度をした。
「はい、どうぞ。熱いですから気をつけてくださいね」
椅子を勧めてからルヴァは湯飲みをクラヴィスに渡した。
自分も机の向こう側に座り、クラヴィスの話を待った。
クラヴィスは一口茶を口に含み、ゆっくりと喉に落としてから口を開く。
「アンジェリークのことだが、いい加減よさぬか?」
「!!!」
あまりに単刀直入な言い方だったので、ルヴァは思わず茶を吹き出すところだった。
「いっいきなり本論ですねぇー。まあ、あなたらしいと言うかなんと言うか」
「アンジェリークが私に好意を寄せていることは私だって知っている。
だが、それについてああだこうだと横から口を出すのはよしたらどうなのだ」
ぴくっとクラヴィスの眉間が動いた。
『当然、怒ってますよね・・・』
アンジェリークに入れ知恵をするルヴァに意見しに来たのだろうか。
「すみませんね。私のアドバイスでクラヴィスが迷惑しているのでしたら謝ります。
でも、アンジェリークの気持ちもまた、実に真っ直ぐで正直なんです。
どうか、彼女の気持ちを大切にしてあげてくださいね。
まぁ、告白を受け入れろと言うのは不躾ですが・・・」
「ルヴァ、勘違いしているようだな」
「・・・へ?」
クラヴィスはうっとおしそうに髪に手をやり、違うのだと話し出した。
「おまえはそれで良いのか、と聞きたいのだ。
おまえは、おまえ自身の気持ちを偽っているのだろう。
それで良いのかと尋ねたいのだ」
「・・・はぁ・・・って、ええーっっ!!」
目を見開いて、ルヴァは椅子を少し下げてしまう。
椅子には車輪がついていないので、自力でちょこまかと下げたのだが。
「なぜ逃げる?」
再びクラヴィスの眉間がぴくり。
「あー、あのー。もしかして、クラヴィス?
私の・・・その・・・アンジェリークへの気持ちを知っているのでしょうか?」
「フッ。当然だ。そのように分かりやすいおまえなのだからな」
思い返してもルヴァはクラヴィスに、アンジェリークのことが好きだと告げたことはない。
「アンジェリークの側に立つお前の表情は安らぎに満ちている。
側で見守ることが幸せだと言わんばかりの安らぎだ」
「あはは・・・。そんな顔をしているのですか、私は」
「顔ではない。私だから感じるのだ。闇の守護聖だからな」
闇の守護聖が司るのは安らぎ。
人の心の癒しをもたらす安らぎをクラヴィスは与えている。
そんな彼ならば、人の心に流れる目に見えない
何かも感じることができるのかもしれない。
「まあ、長くおまえを見てきたからかもしれぬがな。
最近のおまえはやたらとアンジェリークの側に立つことが多い。
それは、アンジェリークに好意を持っている証拠だと言えぬか?」
「クラヴィス・・・いつからそんなに人を見るようになったのですか」
「・・・クックック・・・」
怒られるかと思った一言だが、クラヴィスは意外にも笑っていた。
忍び笑いをもらしながら、クラヴィスが涼しい瞳でルヴァを見る。
「どうするのだ。これからも、アンジェリークに助言をするのか?
自分以外の男との心通わす方法など、おまえは教えていくつもりか?」
「・・・いいえ、しないでしょうね」
ルヴァは椅子を机に寄せ、クラヴィスに軽く頭を下げた。
「ありがとう、クラヴィス。
あなたのアドバイスで私の定まらなかった気持ちが固まりました」
「・・・そうか。では私の用件は済んだ。これで失礼する」
満足げな微笑を口元に浮かべ、クラヴィスは立ち上がり扉に向かって歩んだが、
その足をふと止めて、ルヴァを一度振り返る。
「私がなぜアンジェリークの気持ちを受け止めなかったのか、分かるな?」
「はい。分かってますよ、クラヴィス」
「フッ、そうか」
そしてクラヴィスは出て行った。
クラヴィスはルヴァがアンジェリークを好きだと言うことを気づいていた。
だからこそ、アンジェリークの気持ちを受け止めることがなかったのだ。
クラヴィスのことだ。アンジェリークのことを嫌っていることはないだろう。
ここでの彼女の頑張りは目を見張るばかり。
そんな彼女に少なからずクラヴィスだって好意を持っているはず。
それなのに今まで彼女に答えなかったのは、やはりルヴァを思ってか。
ルヴァがずっとアンジェリークを見守ってきたのは、
彼女の側にいたかったから。
アンジェリークが好きだったから。
愛していたから。
きっと明日もアンジェリークはルヴァの部屋に来るだろう。
その時に、告白しようとルヴァは決心した。
今まで心の奥に閉まっておいた気持ちを、全部アンジェリークにぶつけてみよう。
・・・その前に育成もしておこう。
愛するアンジェリークの喜びのため。笑顔のため。
自分の知恵や知識、サクリアが役に立つのならばこんなに嬉しいことはない。
ルヴァは足早に執務室を出た。
それから数日後のこと。
花崗の路の東屋でルヴァはアンジェリークと楽しく語らっていた。
「興味深い書物を見つけましてね。
アルカディアに伝わるおとぎ話を集めたものなんですけど」
「えっ、持っているその本に書かれているんですか?」
「ああ、そんなに身を乗り出さないで下さい。私が抱きしめてしまいますよ」
そう言ってルヴァは、身を乗り出してきたアンジェリークをぎゅっと抱きしめてしまった。
「きゃっ、ルヴァ様ったら! 離して下さい〜」
「いいえー、離しませんよ。ずっとずっと、こうしているんですからねー」
「えーっ・・・でも、嬉しい」
アンジェリークの方からもルヴァの首に腕を回してきた。
ちょっと大胆な二人なのには理由がある。
次の日、ルヴァはアンジェリークに告白した。
そして最後にアンジェリークに尋ねた。自分のことをどう思っているのかを。
するとアンジェリークは驚くことを教えてくれた。
「もっと周りを見るように」
そうクラヴィスが諭したのだと言う。
「私、ずっとルヴァ様のお気持ちに気づいてなくて。
クラヴィス様のことばかり聞いて・・・。
クラヴィス様が言ってました。ルヴァを悲しませてはいけないって。
ルヴァ様のお気持ちに気づいてないのをいいことに、私ったらなんて酷いことを」
見る間にアンジェリークの瞳には涙が溢れてきた。
今まで自分がしてきたことを後悔している、そんな涙だった。
「ルヴァ様、ごめんな・・・」
謝ろうとしたその口を、ルヴァがそっと人差し指で止めてしまった。
「しーっ。それ以上は言わなくていいです。
あなたのその涙が代弁してくれていますから。
私の方こそ今まで言わなかったのですから、おあいこですね」
「ルヴァひゃま(様)・・・」
口を塞がれているので変な風に発音してしまったアンジェリーク。
慌ててルヴァは指をアンジェリークの唇から離した。
離した瞬間、ルヴァはかあっと顔が赤くなった。
まるで全神経が指先に集中してしまったように。
アンジェリークの唇の柔らかな感触が忘れられない。
ぼうっとしてしまった時、アンジェリークがおずおずと口を開いた。
「私も、ルヴァ様のこと好きになっていいですか?」
「えっ。あっ、あなたはクラヴィスのことが好きなんじゃ!?」
「はい。でも・・・ずっと私のことを想っていて下さっていた、その気持ちが嬉しいんです。
少しずつ、ルヴァ様のことを知りたいから。だから、私も好きになっていいですか?」
それからと言うもの。いつも二人は一緒にいた。
今ではこうして抱き合う仲になった。
少しずつ、二人の距離が狭くなっていく。
「あっ、ルヴァ様!」
「はい?」
「育成お願いします! 地の力をいっぱい下さい!」
真っ直ぐにルヴァを見つめて、力強くお願いするアンジェリーク。
嬉しくなってルヴァは、アンジェリークの頭をぽんぽんと撫でながら答えた。
「かしこまりました。喜んで送らせていただきましょうね」
「それから、お誕生日おめでとうございます!」
「ああ、ありがとうアンジェリーク。
あなたからのお祝いの言葉一番心に響きますねー」
いつかまったく距離がなくなる時が来る。
その時は・・・もう間もなくかもしれない。
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