流れる雲を見上げていると飽きない。
常に変化を続ける雲を見ていると、
自分もあんな風に変われるんじゃないかって思える。
過去にどんなことがあったとしても、どんなことをしたとしても。
ついさっき、数秒前とは違う自分に変化して。
変化を続ければ、元の姿からもリセットできるのではないか。
「・・・なわけねぇか」
頭の後ろで枕代わりしていた手を組み直し、自嘲気味に一人呟く。
ここには誰もいないことが分かっているから。
だから、この呟きも誰の耳にも入ることはない・・・と思った。
「アーリオスゥゥーッッ!」
頭の向こう側からあの声がした。
「フッ、来たな」
自分を新宇宙の女王だと名乗る、アンジェリークの駆けて来る足音が聞えた。
ここで再会する前。
アンジェリークは、彼女の故郷の宇宙をかけて真剣に戦った相手でもある。
「やっぱすべてを忘れるってわけにはいかねえな」
雲間からのぞく太陽がアリオスの目を射る、その直前。
アリオスの視界全部を埋め尽くすように、
アンジェリークがアリオスを覗き込んだ。
「ねえねえ、何ひとりでぶつぶつ言ってるの?」
草の上に膝をつき、アリオスの耳のすぐ横に両手を置いている姿勢。
つまり、アリオスからはアンジェリークの顔は逆さまに見えるのだが。
にっこり笑ったアンジェリークの顔を、アリオスが手で挟みこんだ。
そして、容赦なくぎゅぎゅぎゅーっと幅を狭める。
「ぷっ・・・おかしな顔してるぜ、おまえ」
「もうっ! ひどいよ、アリオス!」
怒ったアンジェリークはアリオスの手を音を立てて払い除けると、
大きな足音を立てて来た方にさっさと戻って行ってしまった。
だがアリオスは、怒った彼女を見てもまるで動じない。
フッとアリオスは余裕めいた笑みを浮かべ、
寝転んだ姿勢のまま首だけ巡らせてアンジェリークを見た。
「帰るなって。俺に会いに来たんだろ? なら、もう少しそばにいろよ」
「なによっ! いっつも私のことバカにして、ひどいんだから!」
立ち止まり、背中を向けたまま怒るアンジェリーク。
きっと顔を真っ赤にしているのだろう、とアリオスは想像しながら体を起こした。
「悪かった。俺も今日はおまえに会いたかったんだ。来てくれて嬉しいんだぜ」
「えっ、ほんとに!?」
ころっと態度が変わったアンジェリークに、クッとアリオスは笑った。
「ったく、そうやって顔がころころ変わるのは、おまえの方だよな」
まるで雲みたいに。
「うらやましいぜ」
「えっ、どういうこと?」
「なんでもねーよ。で、どこ行きたいんだ? 付き合うぜ」
「今日はね、天使の広場がいいの」
その返事に、音を立てて二人のまわりの空気が凍りついた。
一拍置いてアリオスはアンジェリークに冷静な口調で尋ねる。
「・・・俺があそこあんまり好きじゃねえの、知ってるか?」
「うん、知ってるよ!」
悪びれもなくアンジェリークが笑った。
「私の行きたい所に付き合ってくれるって、今、アリオスが言ったんだもん。いいでしょ?」
太陽のようなまぶしいアンジェリークの微笑みに、アリオスは違った意味でも眩暈がするようだった。
「はいはい、お付き合いしますよ」
「やったー。それじゃ、行こう!」
アリオスが立ち上がると、アンジェリークはその腕にぎゅっと抱きついてきた。
「ねっ、腕組もうよ」
「フッ、まるで恋人の気分か?」
「恋人!! ・・・やっ、やだ。そんなんじゃ」
「なーに顔真っ赤にして弁解してんだよ。ま、減るもんでもなし。ほら、いいぜ」
組みやすいように差し出すアリオスの腕の間に、アンジェリークは嬉しそうに腕を通した。
腕を組んで歩く二人はどう見ても恋人そのもの。
すれ違う人たちはみな一様に、お似合いのカップルだと囁きあう。
だが、まだアリオスはアンジェリークに告白していなかった。
アリオスは過去のことがまだ気にかかっていた。
以前の戦いの時に芽生えた愛情は、今の今まで消えることはない。
彼女への愛情があったから、だからアリオスは皇帝として消える選択をしたのだ。
敵同士であるアリオスとアンジェリークの間では、
愛を貫き通すことが出来ないと、そう思ったから諦めたかった。
だが、こうして再び会えた。そのことにどういう意味があるのかは分からない。
もしかすると、この愛を永遠のものにするよう運命が引き寄せたのかもしれない。
二人をつなぐ、見えない運命の糸があるのかもしない。
ならば、その運命に従ってみようと思う。
アリオスはズボンのポケットの上から、そっとその中の感触を確かめた。
今日こそは伝えたいと、心に決めていた。
言いやすいように小道具も用意してある。
だから、今日こそは伝えよう。
おまえを愛している、と。
男、のけじめだった。
今日アンジェリークが自分を誘いに来る事は分かっていた。
できたら静かなところに行きたかったのだが、仕方がない。
アリオスは渋々アンジェリークを天使の広場に連れてきた。
広場に向かう途中、ふっとアンジェリークがアリオスを見上げて尋ねた。
「前から聞きたいと思ってたんだけど、アリオスって普段何してるの?」
「普段?」
「そう。火と木の曜日以外は何してるのかなーって気になってて」
「何だっていいだろ。そんなの知っておもしろいか?」
「おもしろいってわけじゃないけど。ただ知りたいなーって思って」
「それじゃ、教えない」
意地悪そうな笑みが口元に浮かぶ。
「ほら、真っ直ぐ前見て歩かねえと転ぶぞ」
不満そうなアンジェリークの頭に手を乗せて、ぐいっと前を見るように向きを変えた。
「うわー、見て見て、アリオス! いっぱいお店があるよ!」
嬉しそうに目を輝かせて広場に立ち並ぶ店を眺めるアンジェリーク。
「おまえ、そんなに店が珍しいのか?」
「ううん、そんなことないよ。ここはよく来るし。
でもアリオスと一緒だから、何を見ても楽しいって感じちゃうの」
ふふっ、とはにかんだ笑顔を向けられた。
思わずその笑顔をかわいいと思った自分に不覚を覚える。
微笑んだ顔を隠すように、前髪の上から手で抑えた。
「ねえねえ、行ってみようよ」
「おっ、おい。走るなよ!」
アリオスの言葉も聞かずにアンジェリークは香辛料の店の前に走って行ってしまった。
「おっ、いらっしゃい! 珍しい香辛料ならウチで全部揃うよ!」
「とってもいい香りがするのね」
ようやくアンジェリークに追いついたアリオスの顔を店の主人が見た。
「よう、あんたかい! この前は助かったよ!」
親しげに肩を叩かれるアリオス。
それを見てアンジェリークはぎょっとした。
「・・・アリオス、何か、したの?」
ぎぎぎ、という擬音が聞えそうなぐらいアンジェリークの言い方はぎこちなかった。
「そう言う言い方もねえだろ」
ぼそっとツッコミを入れるアリオスの声を掻き消すように、
香辛料売りの主人がアリオスの肩をばしばし叩きながらアンジェリークに教えた。
「この前ね、仕入れた荷物をどうしても私一人じゃ持ちきれなくて。
それでこの人に手伝ってもらったんですよ」
「へぇー、そんなことしてるんだ、アリオス」
ちょっと感心したとアンジェリークが言った。
「優しいんだね、アリオス」
「ぐっ偶然ここを通りかかったんだよ! それだけだ」
ぶすっとした表情のアリオスは、アンジェリークの肩に手をかけてくるりと向きを反転させた。
「邪魔したな、悪いが先を急ぐんだ」
「はいはい、二人のデート楽しむんだぜ」
次の果物売りのおばさんも、アリオスに親しげに声をかけてきた。
「まあまあ、あん時はありがとうね。すっかり助かっちまったよ」
「・・・ったく・・・」
まいったぜ、とアリオスは額に手をやった。
「今度は何をしてあげたの?」
アンジェリークが興味津々と言わんばかりに目を輝かせておばさんに尋ねる。
「子供が走り回っててさ、店の果物の箱に足を引っ掛けて中身をぶちまけちまったんだよ。
もう大騒ぎで子供を捕まえたんだけど、その時この人が手伝ってくれてねえ」
「俺は何もしちゃあいねえよ。ただ、ガキが俺の目の前を真っ青になって走っていったから、
首根っこ捕まえてここに連れて来ただけだ」
「アリオスに首根っこ・・・それじゃ逃げられないわね」
聞えないようにアンジェリークがぼそっと呟く。
「子供もちゃんと謝ってくれたし、幸い果物も無事だったから良かったよ。
あんたのおかげだ、ありがとうね」
そう言うとおばさんは、箱の中からリンゴを一つ取り出してアンジェリークの手に乗せた。
「その時のお礼だよ。女の子の方にあげるからね」
「ありがとう、おばさん」
お礼を言ってアンジェリークは微笑んだ。
アリオスは何も言わずにアンジェリークの手からリンゴを取り上げ、
服の裾できゅっきゅっと拭いてやり、再びアンジェリークの手に戻してやると、
すたすたと次の店に向かって歩いていってしまった。
アンジェリークも駆け足でアリオスに追いつく。
アリオスを見上げると、なんとなくむすっとしているよう。
ちょっと声をかけづらくて、アンジェリークはそのまま黙って次の店に歩いた。
次の花屋でも。
「ありがとう、あの時は助かったよ」
その次の八百屋でも。
「あんたのおかげで楽だった。いやー、ありがたい」
そのまた次の雑貨屋でも。
「また頼むよ、あんたのおかげで助かったからさ」
と声をかけられ。みんな一様にアリオスに感謝し、そして笑顔を向けてくれる。
最後に装飾品を売っている台車の主人が声をかけた瞬間、
アリオスは主人が何も言う前にアンジェリークの腕を取ると、
逃げるようにそこを立ち去ってしまった。
「ねえ、アリオス?」
噴水の前のテーブルを囲み、二人で座る。
頬杖をつき、思い切ってアンジェリークが口を開いた。
「あなたのこと秘密にしろって言われてたけど、あなたって結構知られてるのね」
「・・・天使の広場では、な。秘密はまだ秘密のままだ。
俺のことなんて、手伝ったことぐらいしかみんな知らねえんだ。
他に何をしゃべったわけでもない。名乗ってもいねえし」
憮然とするアリオス。
「でも、みんなあんなに明るい笑顔を向けてくれたよ。
アリオスって、いい人だよね」
アンジェリークは優しい微笑をアリオスに向けた。
それを見ると、気まずくなってアリオスがそっぽを向いてしまう。
「俺はいい人じゃねえよ」
それを聞くや、頬杖をやめて身を乗り出すアンジェリーク。
「いい人だよ! アリオスはいい人! 私はそう思うもん!!」
「・・・私は、か。フッ」
遠い過去にも聞いたそのフレーズに、アリオスの胸は痛んだ。
「勝手に思い込んでおけよ。俺はそんなんじゃないぜ」
「もうっ、悪い人ぶるのやめなよ」
「俺が悪い人じゃなかったら、それじゃ俺はなんなんだよ!?」
「あなたはアリオスよ!」
売り言葉に買い言葉。
食って掛かるようなアリオスの言い方に、アンジェリークもつい熱を帯びた。
椅子に座りなおし、自分を抑えるように一つ深呼吸をしてから、
アンジェリークは真っ直ぐな瞳でアリオスを見た。
「もしも過去の出来事をあなたが未だに引きずっているのなら。
あなたはもう、十分その報いを受けたはずだわ。
あなた自身の消滅によって、報いは受けているんだもの」
テーブルの上に置かれたアリオスの手に、自分の手を重ねる。
「私、あなたに会えて本当に嬉しいよ。
こんなに嬉しいのに、あなたが過去のことでまだ悩んでいるなら悲しいよ。
私や女王陛下なら、とっくにあなたのことを許しているのに。
それなのに、そんなに悲しそうな顔をしないで」
「俺が悲しそうな顔?」
「そう。もしも私と一緒にいる時間が楽しいなら、もっと楽しそうにしてよ」
その言葉に遠くを見つめていたアリオスも、アンジェリークの方を向いた。
「・・・そうだな。そうするつもりだったんだぜ、今日も」
どこまでも澄んだ、アンジェリークの瞳をアリオスも力強く見返す。
「今日は言いたいことがあったんだ。それを、今から言う」
椅子から立ち上がり、アリオスは反対側のアンジェリークへ歩み寄る。
アンジェリークも立ち上がろうとしたが、肩をそっと押しとどめさせられた。
「そのまま真っ直ぐ前を向いてろ」
そう言われたのでアンジェリークは動くことが出来ない。
アリオスはアンジェリークの真後ろに立ったようだが見ることができない。
なにやらゴソゴソと言う音が耳元でしたが、突然首元に冷たい感触がした。
「ひゃっ!」
驚いて悲鳴をあげてしまい、ぴくりと体を震わせてしまう。
その拍子に何かが、小さな金属音を立てて地面に転がり落ちた。
落ちたそれは、なんとネックレスだった。
「・・・ったく、なんでおまえはこういう大事な時にそういう事するかな」
苦笑いを浮かべながらアリオスがネックレスを拾い上げた。
「せっかくロマンチックな演出してやってんのに」
「アリオス・・・」
アンジェリークはそれ以上言葉が出なかった。
再びアリオスはネックレスの鎖をアンジェリークの首にかける。
後ろでカチリと留め金がかかると、アンジェリークは嬉しそうに胸元で光る石を見下ろした。
「アリオスからプレゼントなんて・・・嬉しい」
「やっぱ女ってのはそういうプレゼントが嬉しいんだろ?」
「もちろんネックレスも嬉しいけど。アリオスからのプレゼントってことが一番嬉しいよ」
アンジェリークも立ち上がり、似合う?と言った。
「俺がおまえのために選んだんだぜ。似合ってるよ。
前に俺のチョーカーの話してただろ?
やっぱおまえには、俺のこういうごつい物よりも、細い鎖のネックレスの方が似合ってるぜ」
「ありがとう、ずっと大切にするから」
「俺も、おまえのこと大切に思ってんだぜ」
「えっ?」
予想もしていなかった言葉に、アンジェリークはアリオスをぱっと見上げた。
アリオスは、いつものようなあの余裕の笑みを浮かべながら。
そのままアンジェリークの手を取って自分の胸元に引き寄せ。
耳元で囁いた。たった一言。
「愛してるぜ」
たった一瞬のこと。
アリオスは、ずっと言いたかったその一言をアンジェリークに伝えることが出来た。
伝えることが出来たらその答えが聞きたくなった。
「おまえは俺のことどう思ってんだ?」
「私も・・・アリオスが好き。大好き」
そう答えながら、アリオスの背中にアンジェリークが腕を回した。
そしてぎゅっとしがみ付くように抱きついてくる。
アリオスもそれに答えるようにアンジェリークを抱きしめた。
強く、強く抱きしめた。
アリオスはアンジェリークを部屋まで送った。
アリオスの存在は秘密にしなければならないので、いつものことながらこっそりと。
レイチェルにも知られていない、二人だけの秘密。
「今日はとっても楽しかった。また遊びに行こうね」
「おまえの顔見てると飽きねえからな。またどっか連れてってやるよ」
「もうっ、そういう言い方はないじゃない。アリオスってひどいんだから」
そう言いながらもアンジェリークは顔が緩んでしょうがない。
アリオスもいつもより眼差しが優しい。
「あ、そうだな。もう話してもいいな」
アンジェリークが部屋の中に入ろうとした時、少しだけ話すと切り出した。
「おまえ、俺が普段何してるか知りたいって言ってただろ?
教えてやるよ。バイトだ」
「・・・バイト??」
目を丸くしたアンジェリークがおうむ返しで尋ねる。
「俺だって、ここで生きてくためには働かねえと食べてけねえんだし。
まあ、気のいいやつらがメシおごってくれる時もあるけど。
そればっかりじゃ・・・やっぱまずいだろう。
そのプレゼント代も稼がなきゃならなかったし・・・」
最後はアリオスにしては珍しく口篭もるようにしてしまった。
ぷいっとそっぽを向くように、視線を床に落とすアリオス。
その仕草を見るとなんとなく、アリオスが恥ずかしがっているように見えた。
「ふふっ。やっぱりアリオスって真面目だよね」
「おい、俺のどこ見てそんな・・・!!」
顔を上げていつものように憎まれ口を叩こうとしたその時。
アリオスの口をアンジェリークが塞いでしまった。
彼女のその、小さな唇で。
驚いたアリオスは顔を離そうとしたが、思い直してそのままキスを続けることにした。
奪われるキスも悪くはねえ、か。
アリオスは瞳を閉じて、アンジェリークとのキスを感じた。
唇しか触れていないのに。体全部に幸せが行き巡るような感覚。
やっぱり思い直して、ちょっと唇を離した。
アンジェリークがぼうっとしたように立っている。
まるで夢でも見ているような、とろんとしたアンジェリークの瞳を見てアリオスが微笑んだ。
「やっぱ性に合わねえんだ。だから、こっちからいかせてもらうぜ」
そう言うや否や、アンジェリークの頭に手を回すと再び、少々荒っぽく唇を重ねる。
柔らかなその感触を楽しみながら、そっとアンジェリークの体を後ろに退かせ。
部屋の中に二人で入ると、ぱたむとドアが閉じられた。
過去は過去。これから待ち受けるのは未来。
二人のキスは、二人の未来の第一歩。
未来の階段はまだ続く。
その階段を共に手をたずさえ、上っていくことを誓おう。
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