夜。誰もが寝静まった時間。
ティムカはふと眠りから覚めてしまった。
何かが自分の鼻先を掠めたような気がしたからだ。
むずむずと鼻がかゆい。
小鼻を手でこすってから、薄目を開けて見た。
すると、同室のアリオスが今正に部屋を出て行こうとしていた。
「アリオス?」
小さく呼びかけたが聞こえなかったようだ。
どうやら彼の服が眠っているティムカの鼻先を掠めたようだ。
アリオスはそのまま廊下に出て行ってしまう。
「どこへ行くんだろう・・・」
アリオスは毎夜のこと、部下の元に戻ろうしていたのだが。
ここは眠れる大地の惑星。温泉が有名な惑星。
疲労気味のアンジェリークのため、少し休養を取ろうと立ち寄ったのだ。
一行はゆっくりと温泉につかり、たまった疲れを癒した。
部屋割りでなぜかアリオスはお子様たちと一緒にされてしまった。
むにゃむにゃと寝言を言っているメル、
布団に抱きついて熟睡しているマルセル、
そしてティムカの寝息をちゃん聞いてから部屋を出た。
そのはずなのだか。
「アリオス?」
呼び止められ、ぎょっとして振り返る。
寝ぼけ眼のティムカが、瞼をごしごしとこすりながら立っていた。
「どこに行くんですか、こんな夜遅くに」
ふわわ、とあくびをしながら思ったことを素直に聞いてくる。
「大人のヤボ用だ。なんだよ、起きてたのか?」
フッと口端にいつもの笑いを浮かべる。
「目が覚めてしまったんです」
「そうか。なら早くもう一度寝ろ。明日は早くここを発つってルヴァが言ってたぜ」
「そうでしたね。ではアリオスも早く寝てください」
「俺はいいんだよ」
「どうしてですか? それならアリオスも早く寝て明日に備えたほうがいいと思います」
「・・・あのなぁ〜」
なんとかして部屋に追い返そうとしているのだが、
だんだんとティムカの頭がはっきりしてきたようで、ますます追い返せない。
ぱっちりと開いた瞳がまっすぐにアリオスを見つめた。
「あっ。もしかして、アリオスは眠れないんですか?」
「はぁっ!?」
どこからそういう突飛な発想が湧くのか。
アリオスは不思議に思って一瞬呆れたが、
そういうことにした方が都合がいいかもしれないと逆に利用することにした。
「なんだかな、妙に神経が高ぶっちまってよ。外の空気でも吸いに行こうと思ってたんだ」
「そうでしたか。では、僕もご一緒します」
「いや、いい!」
間髪入れずに断ったのだがティムカはにっこりとそれを受け流してしまった。
「心配しないで下さい。睡眠時間が短くても僕なら大丈夫ですから」
「誰もおまえの心配なんかしてねえよ!」
「ふふっ、遠慮なく」
そう言って、ティムカの方がすたすたと先に歩いて玄関から出て行ってしまった。
「・・・なんなんだよ、あの強引さは・・・」
ここで突然姿を消してしまうのは後でまた言い訳が大変だと思い、
大きくため息をつきながらも、アリオスもティムカの後を追って外へ出た。
「うわぁ〜、きれいな星空ですね」
ティムカは満天の星空を見上げ、周囲を気にして声をひそめて囁いた。
静かな星々のきらめきが夜空を彩っている。
宿屋の前にあるベンチに腰掛け、うーんと一つのびをするティムカ。
アリオスは黙ってティムカの隣に座る。
「僕の惑星はどこらへんにあるのでしょう」
「白亜宮の惑星か? 多分、あっちの方だと思うぜ」
そう言ってアリオスは一方向を指差した。
「あの辺りにあるって話だが、星が多くて分からねえな」
「本当ですね。でも、あの辺りなんだって分かったら安心しました」
「なんだよ、おうちに帰りたくなったか?」
冷やかし混じりにアリオスがたずねると、ティムカは勢いよく首を振った。
「そんなことないです! 故郷のみんなのためにも、必ず皇帝を倒して帰ります。
それまでは、帰りたいなんて思っては・・・」
そう言う言葉と裏腹に、ティムカは口篭もってしまった。
「本当のところはどうなんだよ」
その変化をアリオスは察してやり、優しい口調で、話してみろと言ってみた。
「・・・本当は、病気のお父様のためにもすぐに帰りたい。
お母様やカムランのためにも」
「おまえ、昼間もカムランっつってたけど、それは誰なんだ?」
「弟です。かわいいんですよ」
そう言って顔がほころぶ。
その様子にアリオスも、フッと微笑んだ。
「家族のことを思い浮かべると、楽しそうだな」
「ええ。家族のためにも、みんなのためにも。必ず生きて帰ります」
決意を新たにするティムカの横で、複雑そうな表情を浮かべるアリオス。
「・・・皇帝が憎いか?」
「えっ? すいません、声が小さかったみたいで聞こえませんでした」
「いや、なんでもない。気にするな」
「そうですか・・・。そういえば、アリオスの故郷はどちらなんですか?」
「俺の故郷か?」
アリオスの故郷。
それは、この宇宙とは別の宇宙になる。
今見える星の中に、彼の生まれた故郷はない。
だがそれを説明するのは面倒だし、第一するわけにはいかない。
「あのへん、か?」
と、適当な辺りを指でくるくるとなぞってみる。
「でも、故郷には帰ってねえんだ」
「ええっ!? ご家族が心配なさってるんじゃないですか?」
「・・・心配してくれるような家族なんていないんだよ」
あまりの重たい口調にティムカも、それ以上は何も言わなかった。
「あ、そうだ。アリオス、何か喉が乾きませんか?」
「そういえばそうだな」
「僕、何か厨房から飲み物を持ってきますね。
夜に飲むと体が休まりそうなもの、何か見つけてきます」
そう言ってティムカは立ち上がり、再び宿屋の中へと消えていく。
一人きりになり、アリオスはまたため息をつく。
そして、星空を見上げた。
睨みつけるように。
その視線は、いまだティムカは見たことのないほど、
恐ろしく、冷たく、そして強い意思に満ちたものだ。
けっこう時間がたったように思った。
「お待たせしました」
ティムカがようやく戻ってくる。
「気が利くんだな、おまえ・・・って!?」
振り向きながら差し出されたものを受け取る。
アリオスが予想していたのは、大人のナイトキャップだ。
だが受け取ったそれは、ほかほかと湯気のたったマグカップだった。
「はい、どうぞ」
にっこりと笑いかけながらティムカの差し出したものは。
「ホットミルク・・・か?」
「はい。体かあったまりますよ」
アリオスの隣に腰掛け、ふーふーとカップの中を吹いてからコクリと一口飲む。
「はあ、おいしい」
「・・・あのなあ、ティムカ」
「なんですか?」
言いにい質問なのだが、アリオスは直接ぶつけることにしてみた。
「厨房に酒はなかったのか?」
「お酒? ええ、ありましたよ」
「じゃあ、なんでホットミルクなんだ?」
「それは、体があったまるからです。ゆっくり休まりますよ」
相変わらずにこにこと微笑むティムカ。
「他に何かありますか?」
「いや。だが、大人には夜の飲み物っつったら酒だろ?」
かわいく小首をかしげながらティムカは考えた。
「そう、なんですか?」
「そういうもんなんだよ! ったく、これからの人生のために覚えとけ」
「はい、分かりました」
ティムカは素直な返事を返してから、もう一口こくりと飲む。
「アリオスもどうぞ」
勧められるのだが、湯気に混じる独特なあのミルクの香りが鼻についてどうにも飲めない。
「・・・あっ。もしかして、アリオスってミルクが苦手でしたか?」
「いや、嫌いじゃねえけど。あっためたのは飲まねえんだよ」
「そんなに変わりませんよ、冷たいのも温かいのも」
天使のような笑顔で言われてしまっては飲むしかない。
「・・・分かったよ。せっかくいれてもらったからな。飲むよ」
ちょっと捨て鉢な言い方だったがティムカはまったく気にしていないようだ。
意を決して一口喉に流し込むアリオスの横顔を、にこにこと眺めている。
温かく、そして甘いミルクの味わいが口一杯に広がり。
鼻腔からあの香りがむっと抜ける。
「大人の味覚には、こいつは甘過ぎるぜ」
「それじゃ。次からはお酒にしますね」
「ああ、そうしてくれ。とりあえず、これは全部いただくけどな」
アリオスはごくごくと一気に飲み干してしまう。
「ごちそうさん。ありがとよ」
「どういたしまして。・・・あの、アリオス」
「あ? どうした、急にかしこまって」
ティムカはマグカップを膝の上に置き、姿勢を正してからこう言った。
「僕をもっと強くして下さい」
「・・・はあ?」
「僕、もっと強くなりたいんです」
「何言ってんだよ。おまえは十分強いよ」
前髪をかきあげながらアリオスは言った。
「そうでしょうか。僕はあなたのような強さがうらやましい。
僕はまだ子供で非力ですが、どうすればあなたのように強くなれるか教えて欲しいんです」
真っ直ぐな視線がアリオスを直撃する。
「本気で言ってんのか?」
「本気です!」
強い口調のティムカ。
「・・・そうか。けどな、おまえは本当に十分強いぜ」
本当に、の部分を強めてアリオスは言った。
「でもっ!」
「いいか、ティムカ。よく聞け」
食い下がるティムカを遮りアリオスが語り始めた。
「おまえには守るものがあるはずだ。そういうものがある奴ってのは強いんだぜ」
「・・・そうなのですか?」
「ああ、本当だ。逆に何もないやつは捨て身で向かってくるからな。
ある意味強いが芯の部分に強さがない。だから、脆いんだよ」
「脆い・・・」
「ティムカ。戦うときは守りたい奴のことを思い浮かべろ。
戦った後に戻りたい場所のことを考えろ。
そのためにも、自分は絶対に生き抜くんだって誓え。
そうすれば、おまえは誰にも負けない」
「アリオス・・・」
「他でもない、俺が言ってんだから間違いないぜ。信じろよ、自分を」
「・・・」
脆いのは自分だ。
ティムカに言っておきながらそう思ってしまうアリオスだが。
「確かに、おまえはまだ未熟な腕をしているかもしれないが、
それだってこれからの鍛錬しだいでどうにでもなるんだ。
おまえは筋がいいからどんどん伸びるぜ」
「・・・」
「そういえば、ランディが弓が得意って言ってたぜ。あいつに習ったらどうだ?」
「・・・」
「もしも剣が使いたいって言うんだったら、俺が教えてやってもいいけどよ。
まあ、まずは軽く筋トレから始めてってかんじだな。
腕立て伏せと腹筋と背筋をとりあえず100回。素振りを200回。
ランニングと縄跳びも欠かすなよ。あれを馬鹿にすると痛い目にあう。
まぁ、クソ真面目な鍛錬ばかりがすべてってわけじゃねえけど。
素振りぐらいは余裕で200回できなきゃ話にならないぜ。
じゃねえと満足に剣なんて振るえない・・・って、聞いてのか?」
そう言ってティムカを見ると、なんとこっくりこっくりと船をこいていたのだ。
「・・・おいおい。俺は今まで一人でベラベラしゃべってたってことか?」
誰もいないのに思わず赤面してしまった。
「こんなとこで寝るなよ」
そう言って体を揺すった途端、膝に置いてあったマグカップが地面に落ちそうになった。
それを素晴らしい運動神経で地面に落ちる直前で拾い上げる。
アリオスはそのまま立ち上がり、ティムカを見下ろす。
顔の前でひらひらと手を振ってみたがすっかり寝付いてしまったようだ。
まったく起きる様子がない。
ふう、とアリオスは息を吐いた。
「ったく、またおぶることになるとは思ってもみなかったぜ」
こつん、と一つ額を軽くこづいた。
その衝撃でティムカの首がかくんと横に傾くが、それでも起きなかった。
ちょうどベンチに座っている姿勢なので、そのままティムカを背負う。
軽々とまではいかないが、鍛え上げたアリオスの肉体は
ティムカ一人ぐらい背負うことなど造作もなかった。
そのまま部屋に入り、ベッドの上にそっとティムカを下ろす。
布団をかけてやろうとつかんだその時、アリオスの手をティムカがぎゅっと握ってきた。
「むにゃむにゃ・・・アリオス・・・」
ぎょっとしてティムカの顔を見たが、どうやら寝ぼけて手が動いたようだ。
「なんだよ」
「どこにも・・・行かないでくださいね・・・
ずっと一緒ですよ・・・」
それだけ言うと、あとはすーすーと規則正しい寝息に変わる。
布団をかけ直してやってから再びアリオスはティムカの寝顔を見た。
その視線は友情と言うよりまるで、幼い弟を気遣う兄のようだった。
そして微妙な苦笑いを浮かべながら呟いた。
「悪いな」
もう時間も遅い。今夜は部下の元へ戻ることはやめる。
自分のベッドにごろりと横になり、天井を見上げた。
聞こえてくるのは平和そのものな寝息だけ。
だが、アリオスの心は平和ではなかった。
心に渦巻く想いを否定できず、アリオスは自嘲気味に笑った。
「情・・・か。フッ、俺としたことがな。
俺のところまで来い、ティムカ。相手になってやるぜ」
寝返りをうつとティムカに背を向ける形になる。そして目を閉じる。
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夜は更け、時間は進む。
決戦のときもまた、近づく。
芽生えた情も、迫り来る決戦の運命を避けることは出来ない。
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