トントントン
セイランはノックの音で顔を上げた。
ここは学芸館のセイランの部屋。感性を学ぶための教室。
そろそろ女王候補たちが来てもいい頃なのだが、今日に限ってどちらも来ない。
暇を持て余していたので、セイランは書きかけの楽譜を手に取り、
思い浮かぶ音色を音符に書き留めていたところだった。
「おやおや。今日は遅いお出ましだね、僕の生徒さん」
そう呟きながらセイランは扉から入ってくる人物がどちらかを考えていた。
アンジェリークか、レイチェルか。
どちらも素晴らしい原石だ。
彼女たちから感じる感覚は、毎日新鮮で飽きる事がない。
まだ未知数の可能性を秘めた、二人の女王候補。
二人を導く事こそ、今の自分の務め。
口にこそしないがセイランは、この務めを誇りに思っていた。
しかし、セイランの予想は大いに外れた。
「こんにちは、セイランさん!!」
元気よくドアを開いて入って来たのは、隣の部屋で品性を教えるティムカ。
年若いとはいえ、彼の礼儀正しさと知識の広さはさすが教官に抜擢されただけある。
にっこりと笑いながらセイランに近づくティムカ。
「今日は女王候補の二人が来ないですね」
「やあ、ティムカ。まさか君が来るとは思ってもみなかったよ」
「えっ、そうですか?」
意外、というように驚くティムカ。
「僕は毎日でもセイランさんの部屋にお邪魔したいんですよ。でも、お忙しそうですし」
「忙しいよ、それは本当。でも、君が来てくれて邪魔だと思ったことは一度もないよ」
セイランの返事にティムカはほっとした。
「良かった。僕、セイランさんの描かれる絵や、素晴らしい詩の数々を
今のうちに見ておきたいんです」
「今のうち?」
ティムカのその一言が、なんとなく気になった。
すると、慌てたようにティムカはぶんぶんと首を振る。
「あーーっっ、すみません。今のは気にしないで下さい」
「・・・別にいいけど。それで、ティムカ。今日は本当に僕の作品を見に来ただけかい?」
目ざとくセイランは、ティムカが持っている一通の封筒に気付いていた。
「それはなんだい?」
「ふふっ、これは招待状なんです。はい、セイランさん」
淡い緑色の封筒がセイランの目の前に差し出される。
丁寧でしっかりとした自体で『セイラン様』と書かれている。
「次の日の曜日に、森でピクニックをしませんか?」
「ふーん、ピクニックね」
さして感心がない、というような返事にティムカの表情が曇る。
「・・・お嫌い、ですか?」
視線の下がったティムカを見て、セイランはふふっと笑った。
「いや、嫌いじゃないよ。ただ、最近あまり外に出てなかったから」
「それはいけません!!」
猛然と元気を取り戻したティムカがセイランに食って掛かる。
「やっぱり、毎日太陽の光を浴びないと、体がおかしくなりますし」
「はいはい、落ち着いてティムカ。まあ、散歩ぐらいはするけどね」
「ああ、それは良かった」
ころころと表情を変えるティムカが可愛らしく思える。
セイランはもう一度封筒を見、それからティムカに視線を移す。
「日の曜日、君の招待のために空けておくよ」
「ほっ、ほんとですか!? やったーーー!!」
手を叩いて喜ぶティムカとますます微笑ましい。
「ところで、僕は何か用意するものはあるかい?」
「いえ。お弁当は僕が腕によりをかけて作りますから安心してください」
「そう。なら僕は写生の道具でも持って行こうかな」
その時、セイランは大いなる忘れ物をしていた。
『僕の他に誰が来るの?』という質問を。
後々、彼はこの忘れ物のせいで驚くことになるのだが。
次の日の曜日。
招待状に書かれていた場所へ、セイランはスケッチブック片手に現れた。
「セイランさーーーん!! こっちですーーーー!!」
もう少し先からティムカが、元気な声を出して呼んでいる。
大きく手を振る少年は、太陽の光を浴びてまぶしいばかりに輝いている。
目を細めながらセイランは、彼の元へと足を向けた。
そこにはすでにビニールシートが広げられている。
「やあ、ティムカ。天気がよくて良かったね、まるで君のようだ」
そう言いながらセイランはスケッチブックをシートに置くと、並べられた入れ物を順番に見ていく。
弁当箱ではない、お重、なのだ。
「まさかティムカ、これは全部君が一人で作ったのかい?」
「はい、僕が一人で作りました。あはっ」
にぱっ、と笑うティムカにセイランは心の中でため息をついた。
彼の料理センスが抜群なのは知っていたが、
まさかお重にして持って来るとは思っていなかった。
「ふぅ。まいったね、君には」
額に手を当て、くすくすと笑うセイラン。
「わあっ、スケッチブックですね!! 僕も一枚描いてもいいですか?」
「どうぞ、ご自由に」
「ありがとうございます。では、後で教えて下さいね」
「教える事は何も無いよ、君の思うままに筆を走らせることが大切なんだから」
「なるほど。分かりました」
得心した、というように神妙な顔つきでうなづくティムカ。
「でも、先にお昼にしましょうね」
「そうだね。ところで、僕の他には誰が来るのかい?」
「いいえ、誰も来ませんよ」
けろっと答えたティムカに、セイランは驚きを隠せなかった。
「?? ということは、テイムカと二人きりってこと?」
「はい。・・・セイランさん、どうしましたか?」
目をぱちくりさせながらティムカは、笑い崩れるセイランを見ていた。
笑うたびに苦しげに背中を震わせるセイラン。
「あのー、どうしたんですか?」
「い、いや、くすっ、なんでも、ないよ。ははっ、君とふたりきりね。ふふっ、あははは」
「くすっ。あははははは」
珍しく大きな声で笑うセイランを見て、ティムカもおかしくなったのか、
二人で声を出して笑い出した。
二人の明るい笑い声は緑の木々に吸い込まれ、空気へと変わっていった。
「・・・すると君は、最初から僕と二人きりで話したかったってことなんだね」
「はい。すみません・・・先にお伝えしておくべきでした」
お重に詰めたおにぎりを渡しながらティムカは、顔を真っ赤にしてセイランに謝った。
「驚かせるつもりはなかったんです」
うつむきながら上目遣いでセイランを見る。
「君にそんなつもりがないことぐらい、僕だって知ってるよ。気にしなくていいから」
そう言ってセイランは、渡されたおにぎりを頬張る。
「青空と澄んだ空気、そして、このお弁当にかけた君の時間とで全てを許すから」
「ありがとうございます。それじゃ、いっぱい食べて下さいね!!」
「・・・さすがに、これ全部食べるのは無理だと思うよ」
セイランの呟きはティムカに届いたのか届いていないのか。
うきうきとティムカは水筒を取り出し、中身を注ぐと暖かな湯気が立ち上った。
「これは僕の故郷のスープです。お口に合うといいですけど・・・」
不安げに差し出されたお椀を受け取り、セイランは始め香りを嗅いだ。
食欲をそそる、スパイスの香り。
次に口をつけ、ゆっくりと味わってみる。
口の中いっぱいに温かさが流れ込み、
スープに溶け込んだ野菜や魚のいろいろなエキスが体の中に染み渡る。
「おいしいよ、ティムカ」
「ほっ、ほんとですか!? うわぁ、良かった!!」
心底ほっとしたティムカは自分の分も注ぎだし、二人で並んで食事を始めた。
「ところでティムカ。僕と二人きりってことは、何か話したかったんじゃない?」
お腹も満ちてきた頃、セイランはティムカに尋ねた。
自分の弟のような存在。セイランは知らぬ間にそう感じていた。
だから、ティムカがどういう思いでここに誘ったのか、うすうす気付いていた。
案の定、ティムカは尋ねられると、食べていた手を止める。
「・・・はい」
「そう。話しごらん、君の心の中にある言葉をね」
「・・・・・」
ティムカはしばし考えた。
それまで微笑んでいた顔つきが急に険しくなる。
「・・・僕、皆さんとお別れすることが辛いんです」
痛々しいほどの言葉。セイランにはそう聞こえた。
彼は本当にそれを悩んでいるのだ、と気付いた。
「この試験が終わったら、女王候補のいずれかは女王となり、
僕たちは聖地から帰らなければならない。
楽しかった日々に終わりを告げて・・・」
ティムカがきゅっと唇を引き結んだ。
今にも泣き出しそうな顔。セイランはそう見て取った。
「ティムカ、全部話しみるんだ」
彼の心の全てを話させなければならない。だから先を促した。
「・・・はい。僕、僕・・・寂しいんです。皆さんと別れすることが辛いんです」
再度悩みを口にしたとたん、ティムカの瞳から一筋の涙が伝った。
それは、年相応の少年の心が流す涙。
教官とはいえ、ティムカはまだほんの少年。
彼の心に、別れは重く辛くのしかかったのだろう。
はっと気付き、ティムカは手の甲でごしごしと涙を拭う。
「すっ、すみません・・・。僕、泣いてしまうなんて・・・」
「謝っちゃいけないよ、ティムカ。それは、君の心の正直な思いなんだから」
「・・・ありがとうございます、セイランさん」
まだ潤む瞳でティムカは、セイランに精一杯笑いかけた。
「別れが辛いのは・・・僕も同じだよ」
セイランは空を見上げ、語り始めた。
「ここに来て、たくさんの貴重な体験が出来た。
未来の女王を決めるための試験に参加し、大勢の人と知り合い。
・・・ここに来るまでは想像もつかないほど、スリリングな毎日だった」
「セイランさん・・・」
「別れが辛いのはみんな同じさ。この僕もそう感じる。
ここでの思い出や体験を君の未来に活かせばいいんだ」
「・・・はい」
空から視線をはずし、ティムカを見た。
「会いたくなったら僕を呼べばいい。君の声はきっと宇宙をも越えて、僕の胸に届くだろうから」
「はい。ありがとうございます、セイランさん」
ティムカは一つ深呼吸をして落ち着きを取り戻し、セイランを真っ直ぐに見た。
「セイランさんは、この後どうされるんですか?」
「僕は・・・。まだ決めてないよ」
流浪の芸術家。すべてが秘密のベールに包まれた、稀なる芸術家。
それがセイランの名の前につく代名詞。
彼はこれからもそのとおりに生きていくつもりなのだ。
自分の心の赴くまま。あてなど決めず、たゆたうように。
「でしたら、僕の惑星にいらっしゃいませんか?」
「えっ?」
「僕、セイランさんに傍にいてもらいたいんです」
澄んだ瞳でセイランに訴えるティムカ。
セイランは驚いたのと答えにつまったのとで、すぐに返事が出来なかった。
「・・・そうだね」
ぽつりと静かに答える。
セイランはティムカに誘いに応じる事にした。
「ただし、僕をつかまえておこうなんて考えてよしてくれよ」
「はい、もちろんです!!」
それから、ぺこりとセイランに向って勢い良く頭を下げた。
「これからも、よろしくお願いします」
「おっ、おい、ティムカ。だから言ったじゃないか、僕は一ヶ所にとどまる事が嫌いなんだって」
「ふふっ、分かってます。短い間かもしれませんが、僕の星に来てくれるのですから」
にっこりと笑うティムカ。
ああ。この笑顔に自分は弱いのだ。
礼儀正しい少年でも、時にワガママな時もある。
鼻につくワガママではないので、つい応じてしまう自分。
セイランは、やれやれと肩を落としながら笑った。
「まったく・・・君って人は。ふふっ、分かった。
君の星に留まる間は、そうだね、王宮に泊めさせてもらおうかな。
そんな体験めったにできないだろうから」
「はい!! きっと父も喜びます。ぜひ来てくださいね」
セイランと目を合わせ、ティムカは心から嬉しそうに、満足げな笑顔を見せた。
この日のセイランのスケッチにはティムカが描かれていた。
おどけなさの残る少年の、太陽のような眩しい笑顔。
いつか彼が大人になり、惑星の国王として即位した時。
このスケッチに描かれた笑顔を忘れないで欲しいとの願いを込めて。
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